映画『FAKE』
映画『FAKE』はドキュメンタリーとしてではなく、映画として最高に面白い作品でした。
監督:森達也
そもそも佐村河内守氏のゴーストライター騒動に関心がなかった私は、佐村河内氏のドキュメンタリーを観たかったのではなく、森達也の映画を観たかったのです。
代表作である『A』『A2』から15年ぶりの作品。『A』『A2』はオウム真理教の中から見た世間という視点での映画です。また、スプーン曲げで有名になった超能力者、清田益章を追った『職業欄はエスパー』(テレビドキュメント)などメディアや大衆から非難されている側の視点での作品が多く、タブーに挑むドキュメンタリー監督と呼ばれている監督です。
また、書籍『ドキュメンタリーは嘘をつく』にもあるように、”ドキュメンタリーはフィクションである”と語り、テーマを選んだ瞬間にフィクションが始まっていて、作り手の主観がどうしても入る、そしてカメラを向けられた側もどうしたって演技してしまうものだと。
私はドキュメンタリーこそ真実を見せてくれていると信じていたし、そこにあるリアリティーに感動していたので、森達也との出会いは衝撃的でした。ドキュメンタリーは決して中立公正な立場ではなく、あるのは視点や解釈だと。
主演:佐村河内守
佐村河内守氏といえば、ゴーストライター騒動、全聾の作曲家、現代のベートーベン、ペテン師などのキーワードで2014年にマスコミを賑わした人物。
聴覚障害をもちながら、「鬼武者」などのゲーム音楽や「交響曲第1番《HIROSHIMA》」を発表し、「現代のベートーベン」とまで称賛されました。
しかし「週刊文春」で音楽家の新垣隆氏が佐村河内氏との関係を告白、ゴーストライターとして18年間にわたり作曲していたことや、佐村河内氏が楽譜を書けないこと、耳は聞こえており通常の会話でやり取りしていたと語りました。
いっぽう、佐村河内氏は、主要な楽曲が自身だけの作曲ではないことを認め、ゴーストライター騒動を謝罪しました。しかし、新垣氏に対しては名誉棄損で訴える可能性があると語りました。その後はメディア出演を断り、沈黙を続けていました。
二極化
ゴーストライター騒動を機に、メディアへの露出がふえた新垣氏、一方でメディアからの取材を断り自宅にこもり続ける佐村河内氏。
これまでの報道にあった一方的な見かた(佐村河内=悪、ペテン師)が本当なの?そもそも新垣と佐村河内は同罪じゃなかったっけ?と考えされられました。
それはマスコミの報道によるキーワードだけで「佐村河内守」という人間を仕立て上げている報道側と私たち視聴者にも問題があったのではないかと。監督が述べるように ”社会が安易な二極化を求め始めている” ことの現れなのでしょうか。
善と悪。真実と虚偽。黒と白。右と左。敵と味方。悪は叩け。正義は勝つ。
こんなふうに分ければスッキリとして簡単です。でも、物事やひとりの人間には多様性があります。黒や白にわけれられないグレーもある。むしろグレーの部分が多く、グレーだからこそ人間らしいとも言えます。
佐村河内守のグレーな部分をどう感じ、どう見るかは観客によって違うのです。森達也の視点で作られた映画ではあるけれど、それを見た私の視点や解釈があります。
それぞれの視点で見れる(いろんな人に感情移入できる)という点では、この映画を観た人と語りたいという欲求の生まれる作品でもあります。
長くなったので、次回わたしなりの映画評をします!

谷口 一也

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