6月に入り、今年も折り返し地点です。
年頭の目標すら、すっかり忘れている私ですが、一つだけ継続できていることがあります。それは、家計簿をつけること。
家計簿初心者の私は、ただ記帳しているだけなのですが、ひとつ悩ましいことがあります。
パッと読む見出し
消費と浪費を考える
記帳するときに、少し迷ってしまうのが消費と浪費の区別。レシートを眺めながら自問自答します。
「便秘ぎみだったから、昼休みに買ったヨーグルトは消費かな・・。」
「オイ、消費のところに書いてんじゃねーよ。浪費だよ!!」
と、リトル谷口の鋭い指摘を受ける毎日です。
ちなみに、この家計簿には理想的な消費・浪費・投資の割合を次のように記しています。
消費:70% 浪費:5% 投資:25%
浪費が5%でおさまれば、ずいぶんと気持ちの良い毎日が過ごせるでしょうね。
消費と浪費のはざまで
まずは言葉の定義から、
消費とは
[名](スル)
1 使ってなくすこと。金銭・物質・エネルギー・時間などについていう。「ガスを消費する」「消費電力」
2 人が欲望を満たすために、財貨・サービスを使うこと。「個人消費」
浪費とは
[名](スル)金銭・時間・精力などをむだに使うこと。むだづかい。「資源を浪費する」「浪費家」
(デジタル大辞泉より)
消費と浪費の違いは、必要かどうかの違いだと理解しています。必要なものであれば、それは消費。必要でないものならば、それは浪費。
必要でないものをばんばん買ってしまうのですから、人間は不思議な生き物ですよね。これは浪費だなーと感じながらコンビニのレジの前に立つ自分。
すべてを「消費」にしたい
家計簿につける内訳は、そのほとんどを「消費」の欄に書きたい。
自分にとっては必要であると自覚した上でお金を使いたい。これが私の目標です。
ポイントは、人によって必要なものは違うということ。
今の日本では消費と浪費で迷ってしまうほど、モノは十分に足りています。住むところ、食べるもの、着るものも揃っている。これがないと死んでしまう、そのレベルで日々の消費をしていません。
私にとっては消費
死ぬわけではない。でも、ないと生きている気がしない。そんなものもあります。
私なら、コーヒーであり、喫茶店で過ごす時間。映画です。
ある本でファイナルシャルプランナーの方がこう書いていました。「スタバでコーヒーを飲めるのはセレブだけだ」と。(それくらいの浪費だよ、という意味)
また、映画やドラマのようなフィクションには全く興味がなく、時間の無駄だと感じる人もいるでしょう。
しかし、私にとっては必要なものです。
コーヒーを飲む時間やカフェで過ごす時間は、文章を考えたり、頭の整理をしたい時には最適で、場所を変えることで仕事の効率も上がります。
映画は、単純にドキドキしたり、ワクワクしたりと感情の起伏を楽しむこともできますし、100分前後の物語で自分の価値観が変わってしまうような体験もできます。
鍼灸師としての消費
もっとわかりやすいものを紹介します。これは何だかわかりますか?
爪切りです。「SUWADA」というメーカーのもの。お値段は7,020円。
これ、私にとっては消費です。
必要なものと判断したので購入しました。鍼灸師は患者さんの身体のツボを探すときに指先の感覚をたよりにします。また、鍼を刺すときにも人差し指や親指を肌に密着させます。
爪が伸びていると患者さんに不快な思いをさせたり、爪の痕がついたり、痛みを感じさせることにもなりますので爪の手入れは毎日行います。
100円の爪切りとやすりで、それなりに整えることもできます。しかし、SUWADAの爪切りの使用感は、やすりを使わなくても滑らかな切り口で、肌を傷つけることもありません。鍼灸師である私にとっては、必要な仕事道具なのです。
私にとっては浪費
一方で、私は自動車には興味がありません。動いてくれればよいと思っています。車種や自動車メーカー、乗り心地や外観を追求した備品にかけるお金は浪費です。
お酒も飲みません。800円のワインと5万円のワインを飲んでも差がわからないはずです。
すべてのコーヒーと映画が消費ではない
だからと言って、すべてのコーヒーと映画が消費だとも言いません。見境なくコーヒーと映画にお金を投入するわけにはいきませんからね。
必要なコーヒーと、必要のないコーヒーがあります。
必要な映画と、必要のない映画もあります。
まずいコーヒーだから浪費ではありません。つまらない映画だから浪費でもありません。
飲む必要がないコーヒーだったから浪費なのです。見る必要がない映画だったから浪費なのです。
同じコーヒーでも、今から飲むコーヒーは消費なのか、浪費なのか、少しの間でも自問自答してみることです。
映画も予告編をチェックしたり、ポスターを眺めたり、DVDのパッケージを熟読して、見る必要があるのか、ないのか自問自答するのです。
なぜなら、私たちの持っているお金が有限であることと同じように時間もまた有限だからです。生涯であと何杯のコーヒーが飲めるのか、何本の映画が見れるのかは無限のようで、実は有限です。カウントダウンは始まっています。
お金をいくら使ったのか、と毎日家計簿をつけるのと同じように、時間をどのくらい使ったのかも意識しなければなりません。お金だけでなく命を削って「消費」と「浪費」をしているのです。
と、まあ 偉そうなことを思いついたので、書いてみました。
あなたにとっての消費とは何ですか?
あなたにとっての浪費とは何ですか?
まとめ
・消費と浪費の分け方は、人によって違いがある
・同じ品物でも、時と場合によって消費にも浪費にもなる
・消費なのか、浪費なのか、一呼吸考えて買う
・お金だけでなく時間(命)を使っていると意識する

谷口 一也

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