最愛の人を亡くされた方へ

妻のこと

クリスマスやお正月が近づくと哀しいです。

一緒に過ごすべき人がここにいないことを突きつけられるからです。妻が病気でこの世を去って、1年と9ヶ月が経ちました。妻がいないことを、まだ信じられないときもあります。

哀しみをどうやって乗り越えていくのか、その答えを探し続ける毎日です。妻の死後、落ち着いた生活を取り戻したとは言えませんが、それでも家族や周りの方々の協力を得て、私と子どもたちは生活しています。

全てがガラリと変わってしまった生活の中で、私は身体を動かし続けてきました。そうやって哀しみから遠ざかりたかったのです。

今は、走り続けていた足を休め、ゆっくり散歩するような毎日です。だから余計に、ぽっかりと空いた大きな穴を見つめる時間ができて、そこに立ちつくしているような感覚です。

哀しみ

最愛の人が自分より先にいなくなるなどと、本気で考えたこともありませんでした。「死」が、日常からあまりにもかけ離れていたものでしたから。

妻が亡くなった直後に感じたのは強い恐怖。もう会えない、妻がいない生活への恐怖です。悲しみも突然襲ってきて、大声で叫びたくなるような衝動に駆られました。

今は少し落ち着いて哀しみに向き合えるようになりました。それでも、音や場所に身体は反応しています。救急車のサイレン音は怖いですし、妻とよく聴いた音楽はまだ聴く気持ちになれません。近くのスーパーやショッピングモール、よく二人で出かけた場所ほど日常のありふれた思い出がよみがえり、辛くなります。

幸せになるために仕事も頑張らないと、幸せをつかむために鍼灸師としてもっと成功しなければ、と思っていました。

でも、毎日の何気ない暮らしこそが「幸せ」なんです。

妻が亡くなって、これだけははっきりとわかりました。

耐える

人は死んだら、どこへ行くんでしょうね。

妻はいまどこにいて、なにをしているのか。そんなことを知りたくて、仏教の本やスピリチュアル関係の本もたくさん読みました。臨死体験をした人の話、あっちの世界が見えてしまう人の話も。

この世だけではない「ほかの世界」があることは興味深いですが、やっぱり本当のところは自分が死んだときにわかるんでしょうね。

ですから今は、妻がどこにいて(どこにもいないかな?)なにをしているかということより、どんな自分を、家族の姿を見ていてほしいかを考えるようになってきました。見てくれていると信じているので、どう見られるかを考えるようになりました。

自分の人生をしっかりと生きる。その姿が妻のためになっていると思いたいです。いつまでも哀しみに沈んでいる姿を妻は望んでいないでしょうから。

そう思えるようになったのは、作家の伊集院静さんの言葉に勇気づけられた部分も大きいです。

まだ妻のいた頃、私は頻繁に東京での勉強会に出掛けていました。毎回、空港の書店で一冊の本を買って飛行機の中で読むことがいつものルーティンでした。ある時から、伊集院静さんのエッセイ「大人の流儀」シリーズを読むようになりました。特に深い理由はありません。読みやすい文章量だったからです。

伊集院さんは、10代で弟さんを、20代で奥様を亡くされたご経験があります。辛い境遇を歩まれた方なんだなと飛行機の上で思っていました。まさか自分が同じ状況になるとは夢にも思いませんでした。

先月、家族のサポートのおかげで東京の勉強会へ出かけることができました。空港の書店で久しぶりに伊集院さんの著書を手にとりました。購入したのは『伊集院静の流儀』。このタイミングで読んだことも必然だったのかもしれません。上空で私の心がスッと軽くなりました。


読者が伊集院さんに質問を投げかけ、それに答える問答形式の章があり、そこで、私と同じように最愛の人を亡くした50代男性からの質問があったのです。

Q:最愛の人を亡くした悲しみで生きる気力が全くありません。どのように乗り越えていけばよいでしょうか?

自分に向けられている答えだと思って読みました。以下、抜粋します。

A:
私も弟や妻を亡くした経験があるから言わせてもらうけど、生き続けていれば、これは時間が解決してくれる。

”時間がクスリ”という言葉は本当だ。・・・あなたはどうやって乗り越えたらいいのかと訊くが、人間の哀しみはひとつひとつ違っているから、誰かの言葉や差しのべた手ですぐに快復できるものとは違うと思うよ。

だから乗り越えようなんて思わないことだよ。乗り越えようと思うと、そこに無理が出るものだ。・・・

・・・人の死は、その人と二度と逢えないことだけで、それ以上でもそれ以下でもないから、必要以上に哀しまないことだ。

君にいま言えるのは、哀しみにはいつか終わりが来る、ってことしかないな。こう言っても信じられないだろうが。

耐えてくれ。耐えてやれ。そうじゃなきゃ、死んだ人までが不幸になる。

この辛さや哀しみは子供たちのためにも乗り越えなければならないと思っていた私には、「乗り越えなくていい」という言葉が救いでした。自分だけが乗り越えられないんじゃないか、自分だけが無気力な日々を過ごしているんじゃないかと不安でした。

乗り越える術を知らずに、この先の人生を送るのではないかと。乗り越えるのではなく、耐える。耐えることならできそうです。

私と同じように愛する人を亡くされた方には、同じ経験をされた伊集院さんの言葉に触れていただきたいです。

いつ人生が終わるかなんてわからない

妻の死で、否が応でも「死」を考えることが多くなりました。人はいつ死んでしまうかなんてわからないのです。今日生きているから、必ず明日が来る保障はありません。

妻のスケジュール帳には、亡くなった後の、その先の予定が書かれていました。死ぬつもりなどこれっぽっちもない文字です。これを見ると、「いま」いることに感謝を忘れてはいけないと気づかされます。

大好きな人が死なずに今日生きてくれている。これ以上の幸福はないです。

つい、忘れてしまうことですけど、本当にそう思います。

これも当たり前のことのようですが、夫婦は同時に死ぬことなどないのですから、どちらかが見送らなければなりません。

身近にいる多くの夫婦がそういうことを経験し、またはこれから経験するのです。みんな平気な顔してるけど、いろんな想いを抱えているのだろうなと思って妙な気分になります。

夫婦に限らず、愛する人を亡くした哀しみは簡単に癒えるものではありません。私もまだ哀しみの中にいます。ただ、私の心が軽くなった伊集院静さんの言葉を伝えたくて今回の記事を書くことにしました。

同じように、哀しみの中にいる人の心が少しでも軽くなれば、うれしいです。

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谷口 一也

はじめまして。谷口一也です。1979年愛媛県伊予市(中山町)で産声を上げました。 マイペースで我が道を行くB型。 育児と鍼灸に精を出す毎日です。 自宅での映画鑑賞やカフェ巡りが趣味。