都合の良い「母性」

ぼせい【母性】

女性特有の、いかにも母らしい性質。女性に備わっている、子供を生み育てる資質。

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辞書にはこう書いてあります。

そして、子を持つ父親にとってこの言葉は、水戸黄門でいうところの印籠(いんろう)のようなもので到底かなわないとひれ伏してしまう二文字でもあります。

私も妻の姿をみて、子に対する愛情はかなわないなと思っていました。子を守ろうとする本能は男よりも女が強いのだろうと。それを「母性本能」とよぶのだと。

でも、それって本当?男性より女性のほうが子供を育てる上で優れた能力があるの?というのが今回の話。

拡大する「母性」の解釈

ひと口に母性といっても、「母性」の解釈は多岐にわたります。
医学的、看護学的、心理学的、社会学的・・。

医学的にみるとホルモン(プロラクチン、オキシトシン)の分泌が母性行動の誘導であるといわれます。また、心理学上では子育てにおける母性の役割として、善悪の分け隔てなく包み込む傾向があるとされます。

育児や家事をお母さんに任せっきりにしているもう一つの原因が「母性」ではないかと考えます。この「母性」の意味が拡大していき、男性にとって都合の良い使われ方をしているのではないかと。

狭い意味での「母性」は、妊娠、分娩など女性の身体的な特徴や状態の総称と言えます。きっと「母性」というコトバが誕生した当初はこのくらいの狭い意味だったのではないでしょうか。しかし、その意味は拡大し、《妊娠、分娩などの一時期に留まらず、母であり、母となり得る可能性をもつ全期間を母性ととらえ、思春期から更年期にわたる女性の身体的な特徴をもった者の総称》へと広がっていきます。

少なくとも私が「母性」という言葉を使うとき、それは〈妊娠や分娩、産褥期における女性〉についてではありません。もっと広い意味での「母性」というニュアンスです。それは、医学的な根拠を超えた価値観も含んでいます。

「母性」というコトバの誕生

母性という言葉が誕生したのは大正時代だと言われています。それ以前には母性という言葉も概念もなかったということです。そうであれば意外と新しい言葉だと感じませんか?

母性本能、母性愛、母性・・。これらは女性に初めから備わっているわけではなく、時代や環境が生み出した部分も大きいのです。もちろん、母親が子供に対する愛情がウソだというわけではありません。ただ、歴史を紐解いてみると「母性」や「母性愛」と呼ばれるものが時代によってまるで違う表れ方していることがわかります。

捨て子は当たり前?

日本では昔から子供が大切に扱われていたわけではありません。子供を捨てるのが当たり前だった時代があります。今から1000年ほど前は、捨て子は日常茶飯事で、それを助けようとする人もいなかったのです。

また、戦国時代にポルトガルから日本にやってきたルイス・フロイスという宣教師の著書「日本史」には日本の様子を次のように記しています。

『或る人たちは、誕生後、その頸に足をのせ、窒息させて子供を殺し、また或る人たちは、堕胎を誘致する因となる、ある薬草を飲む』
『朝、岸辺や堀端を歩いて行くと、そこに投げ捨てられた子供たちを見ることがたびたびある』
『日本の子供は半裸で、ほとんどなんらの寵愛も快楽もなく育てられる』

信じがたいことですが、日本では長い間、庶民たちの間では捨て子は当たり前のことであったようです。それは、多くの人が貧しい環境にあり子供たちを十分に養うことができなかったからです。

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では、捨てられなかった子どもが現代のように大切に育てられたかというと、そういうわけでもなかったようです。男女関係なく誰もが働かなくてはならない時代では、子どもらしくなどと悠長なことは言っていられません。貴重な労働力として扱われました。

調べるうちにビックリすることが多く、ここでは書けないような悲惨な状況もたくさんありました。もちろん母親や父親に愛情がないのではありませんが、子どもよりも優先順位の高いものがあったのは事実のようです。

「子供は大切」という価値観は歴史的に見ても決して当たり前のものではなかったことがわかりました。

江戸時代はイクメン武士

江戸時代の半ばになると、そのような状況が変わります。寺子屋が全国に普及し始めると「子供を教育しよう」という価値観が広まります。また、子供の誕生や成長を祝うような儀式が普及し始めたのも江戸時代と言われています。

歴史学者の太田素子さんは著書(江戸の親子)の中でも江戸時代は「父親が子供を育てた時代」とよんでいます。当時の育児書は男性が男性に対して書いたものが多かったといいます。

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それは、武士たちにとって「家」を守ることが大事ということに関係します。特に長男を家長と
して教育するために父親が奮闘していたというわけです。

少なくとも「育児は女性の天職」だと考える発想はありませんでした。実際には母と祖母が育児をする場面も多かったようですが、精神的には父母が共同で子育てをする関係であったようです。いま風に言えば、イクメン武士は珍しくありませんでした。

庶民はというと、大家族での子育てをしていました。家族総出で仕事をすることが当たり前で、若い女性は貴重な労働力となります。そんな女性を育児に専念させる余裕もない時代です。赤ちゃんの子守は子供たちの仕事だったようです。現代のように大事に育てられていたわけではなかったことは容易に想像できます。

女性が育児をするのは伝統でもなんでもない

古代の日本から江戸時代の半ばまでを振り返ってみても、「母親が子供を育てる」ことが日本の伝統的な育児方法だとは言えそうにありません。むしろ、「育てられない子供は捨てる」歴史の方がはるかに長いといえます。

江戸時代にはイクメン武士が多かったことや、江戸末期から明治時代にかけては、産みの親とは別に取り上げ親、育ての親、名付け親、乳付け親、守親などの仮親が周りにいたことなどから、育児を母親だけに任せる風潮は大正時代まではみられなかったと思われます。

振り返ってみても、日本ではそれぞれの時代や環境に応じた子育てを行ってきました。それなのに、母性や母性本能というコトバで、母親だけに育児を任せてしまった昭和の時代の発想は短絡的だったのではないでしょうか。それは、同時に父親から子供を育てる機会を奪ってしまったとも言えます。

イクメンがもてはやされているということは、現在においても「母親」が育児をすることが主流であることの証でもあります。「イクメン」という単語が死語となる日がくることを願っています。

長くなりましたが、最後に・・

私は決して我が子を想う母親の愛情を否定しているわけではありません。男性よりも劣っていると言っているわけでもありません。ただ、「母性」という二文字に、社会が、世の男性が、多くのことを求めすぎている、もしくは思考が停止してしまっているのではないかと言いたかったのです。

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谷口 一也

はじめまして。谷口一也です。1979年愛媛県伊予市(中山町)で産声を上げました。 マイペースで我が道を行くB型。 育児と鍼灸に精を出す毎日です。 自宅での映画鑑賞やカフェ巡りが趣味。